人権の視点が抜け落ちた教育は有り得ません。しかし実際の学校現場はどうなっているでしょうか?
人権教育が大切であることは言うまでもなく、多くの学校で学校運営方針のトップに書かれているものであるのに、人権教育は「子どもを甘やかす教育」と捉えられていたり、人権学習の時だけのものになっていたりで、「人権の視点を中心に据えた学校」の姿ってどんなものなのか、めざすべき教育のあり方はどんなものなのかが学校の中で見えなくなってはいないでしょうか。人権教育の掛け声だけでなく、私たちがめざすべき具体的な学校のあり方、姿はどんなものなのか、私たちがよく考えていかなければならないことがここにあると思います。
さて、あらためて人権教育とはどんな教育なのでしょうか。
①人権教育は「こころがけ」の教育か?
差別が悪いということは誰もが知っていることです。でも、「善悪」で考えていたことが、いざ自分事になった時に「善悪」の価値基準が「損得」に変わってしまう、そんな弱さを持つのが私たち人間であり、そんな心と向き合い、また、自分の中の差別する心を見つめ、そこから解放していくのが人権教育です。ですから、人権教育は一部のかわいそうな人のための教育ではなく、すべての人の生き方に関わる教育であり、「こころがけ」の教育ではないのですね。
②人権教育は「甘やかす」教育なのか?
人権教育を、子どもを「甘やかす」教育だと捉えてはいないでしょうか?
人権教育は、決して突き放さず、一人ひとりの凸凹を埋めるために一人ひとりとしっかり向き合い、寄り添い、生きる力をつける教育で、それはけっして「甘やかす」ということではありません。自分がしたこと、しなかったことの結果を学ばせることは大切ですが、何でもかんでも子どもの自己責任にすることを「厳しさを教えること」と誤解してはいけません。けっして諦めずに、しっかり寄り添い、関わり続け、生きる力をつける教育が人権教育で、だから人権教育は「甘やかす」どころか、「厳しい」教育なのです。
※自己責任として突き放すのではなく、一人ひとりに寄り添う、厳しい教育が人権教育です。私たちは子どもの自己責任にすることを「厳しさを教えること」と誤解してはなりませんね!(時枝)

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