公正選考の取り組みについてご理解ください!
「こんなこと言っていいのか迷いましたが」と前置きの後、「公正選考の取り組みの趣旨は分かりますが、だいたい、企業がひとりの人間を雇うのにいくらくらいお金がかかると思っているんですか? だから、就職選考の時の面接で『あれもこれも』聞いちゃいけないと言われると、会社としては、受験生が会社がほしい人材かどうかが分からなくて、正直なところ困るんです。場を和ませようと思ったりして、お父さんやお母さん、その他の家族のことや家庭のいろんな状況、住んでいるところのことなんかを聞いたりすることはあるだろうし、・・・。これが私たちの正直な気持ちです。」
企業・事業所の方から聞いた話です。しかし、本当にそうなのでしょうか。よく考えていただきたいと思います。本当にこの取り組みは企業や事業所にとっては、法律に規定され、労働行政の指導があるから「仕方なく」従わなければならない、そんな「迷惑な」取り組みでしかないのでしょうか。
自分の人生を自分の力で切り拓いて生きていきたいと願い、頑張っている子どもたちの生き方を決めるかもしれない、そんなとても大切な採用試験の場面で、「本人に責任の負えないこと」や「本人の能力・適性とは何も関係のないこと」、「本人の努力では変えられないこと」を話題にし、問うていくことが企業や事業所にとって本当に必要なことなのでしょうか?子どもたちが頑張ってもどうしようもならないことを子どもたちに質問をし、答えさせることにどんな意味があるのでしょうか?聞けないと困ることなのでしょうか?この公正選考の取り組みがどんな取り組みなのか、よく考えていただきたいと思います。
《企業・事業所の方へ》
かつて就職選考時の応募用紙(社用紙)には家の部屋の数や畳の枚数、家族全員の職業や役職・収入、貯蓄、財産、宗教、田畑の広さ、牛馬の数、血液型などなど、受験生の能力や適性とは何ら関係のないあらゆることが書かされていました。そんな就職選考の中で、貧困家庭の子どもたちや被差別部落や外国にルーツがある子どもたち、ひとり親家庭の子どもたちなどなどが、本人の適正や能力、努力とは無関係のところで不合格にされていく差別の現実がありました。そんな現実に対して、それまで悔しい思いをしてきた子どもたちが多くのなかまや教職員とともに立ち上がり、スタートした取り組みが、この公正選考の取り組みです。以後、文部科学省、厚生労働省、労働局、地域のハローワーク、学校、他関係機関と「思い」を一つにし、多くの企業や事業所とともに力を合わせて取り組んでいるものですが、問題のある就職選考はいまだに後を断ちません。
採用をする側の企業・事業所にお願いしているのはただ一つ、「受験生の能力や適性以外のことで合否判断をしないでほしい」ということです。誰も「あれもこれも聞いちゃいけない」なんて決して言っていませんし、採用する側として受験生本人のことや、その能力・適性を知るために、本当に必要な大切なことはしっかり聞いてもらいたいと思っています。当然のことですし、そこに誰も制限はしていません。ただ、「本人に責任の負えないこと」「本人の能力や適性と関係ないこと」を問うことはやめてほしいのです。応募用紙(全国高等学校統一用紙)の記入項目が以前と比べて減ってきたのは、これが「本人のこと」だけを書く応募用紙であり、この用紙自体が「本人の責任の負えないこと」は聞かないでほしいという、採用者へのメッセージであり、私たちの願いだからです。このことにより、もしも「聞きたいことが聞けないから困る」「情報が足りない」という捉え方を企業や事業所側がされているのであれば、それは間違いです。いったい、本人の能力や適性と無関係などんな情報が採用のために、本人の能力・適性を知るために必要なのでしょうか。それにどんな意味があるのか、そこを是非考えていただきたいと思います。私たちがお願いしているのはそこだけです。
問題事象があった時に「場を和ますつもりで」とか「そんなつもりはなかったのだが」と言われることがありますが、たとえ場を和ますつもりであっても、また、差別選考をするつもりがなかったとしても、「自分のこと」を見てもらう大切な就職選考の中で「自分のこと(能力や適正)でないこと」、「自分には責任の負えないこと」、「自分の努力でどうこうなるものでないこと」について触れられたり、話題にされることで深く傷つく”私たち”であることを理解して下さい。
そして、この取り組みがめざしているのは「差別をなくすこと」「差別のない社会」であるとともに、「差別を許さないなかま」としての連帯でもあります。子どもたちもそんな差別を許さない社会の一員になるべく頑張って勉強しています。ぜひこの点をご理解をいただき、企業・事業所総体として、また一人の人間として、この取り組みにご協力いただくことをお願いします。
下に掲載する文は、公正選考の取り組みに関して、ある一人の教員が自身のことを語ったものです。よく考えてください。人権の問題は全ての人にとって他人事ではなく自分事です。誰か可哀想な人のためではありません。すべての人が反差別の主体者として自分の心と向き合い、自分の問題として考え、行動し、取り組みを進めていくことを願います。

